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沈下橋と間宮林蔵生誕地をめぐる

(茨城県つくばみらい市)

by あずまの国の広報
突然ですが、皆さんは沈下橋というのをご存知ですか?
そうです、高知は四万十川にあるのが有名な、あの橋の高さも欄干の高さも低い橋です。
でも実はこれ、東京都内からそんなに遠くないところにだって、あるんです。
秋葉原、浅草、北千住からつくばエクスプレスで一直線のつくばみらい市、身近な沈下橋を見てみませんか?
近くにある江戸後期の探検家、間宮林蔵の生誕地とともにまわるのがお勧めです。

間宮林蔵記念館から

幕府の命によってサハリンを探索し、サハリンが大陸と繋がっていない「島」であることを発見した、間宮林蔵。
当時はサハリン周辺は世界地図上の世界最後の未確認地帯であり、ヨーロッパの探検隊もアタックしたが失敗続きに終わった場所でもありました。

 

その間宮林蔵の功績に比べて、当人の出身地は余り知られていませんが、茨城県つくばみらい市に生家と小さいですが資料館があります。
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小貝川北側の土手、一本内側にある里道ぞいにある、間宮林蔵生家に到着しました。写真裏手は直ぐに小貝川。
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ヘッディング 6
併設された間宮林蔵記念館。
小さな資料館ですが、知っているようで意外と知らない間宮林蔵の歩み…幕府にスカウトされた経緯、伊能忠敬との出会い、幕命による探検・地図作成、探検後の役職 など、解りやすく知ることが出来ます。
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生家全景。県指定史跡。間宮林蔵は1780年(安永9年)生まれになります。建物内には特に当時の残留物はなく、がらんとしていました。
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内部
 
近くに間宮林蔵の墓もあると聞いて、移動しました。同じ集落内にある専称寺
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境内左側に、盛り土状の木立の上の大きな石碑が見られます。
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ここが、間宮林蔵墓所でした。石碑は「伊奈の塋域」という名の顕彰碑で、裏手に小さく林蔵の墓がありました。

​小目沼橋へ

小貝川にそって、上流側に向かいます。
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すると、目的の沈下橋「小目沼橋」が見えてきました。
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木造です!
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躯体にはワイヤーが取り付けられています。
増水し橋が流されても、下流に流出はさせずにおいて、流量が収まり次第、また橋台に乗せれば修理完了!とできるように造られているのでしょうか。
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自転車でわたってみます。はっきりいって怖いです。
転倒したら自転車はとにかく、体は川に真っ逆さまですね。
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こいでいる最中に横を見るのはもはや禁止行為です。
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でも非日常体験がとても楽しい。
非日常といえば、こちら、時代劇の撮影にも使用されることがあるのだとか。
 
時間があったので、さらに上流に向かい、水海道の町並みをブラリ。
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街角にあった瀬戸物屋さん。この側面のレンガ風格ありすぎ。
元から瀬戸物屋なんですかね…この造り。
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旧報徳銀行水海道支店 大正中後期に建てられたといわれる。
古い町に残るこういう建物を見て回るのが、何気に好きです。
 
さて、夕刻小貝川の流れに沿って下流に帰ります。帰り際に今日二つ目の沈下橋・川又橋を渡りました。
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こちらは普通に車が通ります。
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コンクリート作りに低いながらも鉄の欄干。でも写真を撮ろうと橋の上に進むとやはり、川に吸い込まれそうな感はあります。
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緊張しながらも小貝川の夕景を一枚
 
私は折りたたみ自転車を持っての旅でしたが、折りたたみ自転車やサイクリング用の自転車をお持ちのみなさん、週末に身近な沈下橋をめぐるサイクリングはいかがでしょうか。
 
交通:マイカー、もしくはつくばエキスプレス、関東鉄道「守谷駅」など。徒歩ではかなりきついと思われます。当日管理人はJR取手駅より自転車にて往復しています。小貝川土手上の交通量は少なく、サイクリングは快適です。
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